小山田圭吾とコバケンをいっしょくたにするな!

と、オレは思う!

同じような「弱者や迫害された人たちをあざ笑う残酷な人間」

と雑に一括りにしないでほしい。

 

小山田圭吾のインタビューは当時読んだことがある。

読んでいてゾッとした。気持ち悪くなった。

それは、小山田圭吾

「いかにもヤンチャないじめっ子」

という外見ではないことで、余計に陰湿に思われた。

ワルだった話を得意げにする芸能人は多かったが、これは毛色が違った。

そんな内容を次々に得意げに語っていることがまた不気味に思われた。

それからコーネリアスをめっきり聞かなくなった。まだやっていたとは。

(それにしてもオザケンと真逆な感じなのに、よくバンド組んだな(⌒▽⌒)。

話全然合わなそうだけど、音楽の話オンリーだったのかな)

 

で、コバケンのラーメンズ時代のコントの話。

当時はマニアには人気があったけど、一部の人たちの間だけ。

ラーメンズなんて、オレの友達は誰も知らなかった。

そのマイナーな空間で、かなり変な人を演じ、なんか引っかかる、刺さる笑いをつくってきたラーメンズ

こっそりとした一部の空間、その場限りの、マニアの間でのコントだったはずだ。

 

どんな場合でもそんな無神経な笑いは許されない!というのは正論かもしれない。

確かに、今の立場で、オリンピックの開会式でそんなコントをしたとすれば頭がおかしい。

けれど、その時代、その空間で、コバケンにも日本人の客にもまだ世界は遠くぼんやりとしていて、まさかこんなに外人たちが身近になるとは思ってもいなかった。

だいたいあの時代に、弱いものを笑う、ひどいことを言う、ということをしなかった芸人を探す方が難しい。

 

コバケンはコントを際立って個性的にしようと思ったばかりに、強烈な表現を使ってしまったんだと思う。まさか当事者の耳に届くなんてこと、当時は考えもしなかっただろう。

対して、小山田圭吾は実際に手を下している。面白がって。

この二人の差は非常に大きい。

 

 

ネット社会は過去のあらゆる過ちを許さない。

ほじくりだして晒す。

それが本当に、泣き寝入りをしていた弱者を救う場合もあるが、

思いがけない切り取られ方をして、弁明も許さず抹殺される場合もある。

と、ここ数日でしみじみと実感した。

オリンピックという世界の舞台にかかわらなければ、こんなに晒されることもなかったはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

神様の作る話ってやっぱり最強(妄想)。

自分の身の回りで起こった、人には言えないんだけど、心が動かされてどうにも人に言いたくなるような話のひとつやふたつ、誰にでもあると思う。

でもそれをそのまま書くと、プライバシーの問題とか守秘義務違反とか名誉毀損とか人間関係が壊れたりとか色々な問題が起こりそうなのだ。それは避けたい!

でも、人に言いたくてたまらないので(^○^)、設定を少し変えようとする。

ところが、これがうまく行かない。

この、現実に起こった設定こそがしっくり、ぴったりくるのだ。

ちょっと変えただけでも不自然でわざとらしくなる。

 

神様は人間を使って物語を書いているのかな、と妄想することがある(^○^)

オレらは神様が作った物語の登場人物にすぎないんじゃないんだろうか?

(「暇を持て余した、神々の、遊び〜」

ってコント、思い出した(^○^)。)

さすが神様、設定が抜かりないなー、これ以上の自然さはない。

自分でアレンジして書いてみようかと思うたびに挫折する。

 

定年退職した大人で、仕事の小説を書く!と当初は意気込んでいたのになぜか一行も書かないで数年、そのうちそんなこと言っていたことも忘れたふうになる、という感じの人を何人も見てきた。

それはきっとそういうことだったんだろうと思う。

設定がどうしても上手くいかない!そのまま書くと問題あるし!

という葛藤。多分(^○^)。

そうやって大部分の人間たちは、語ることなくやがてこの世を去ることになるのだ。

なんだかすごく残念!

上手いこと設定だけごまかして、真実を語る能力がほしい!(^○^)

 

そう考えると、自然な流れで真に迫るストーリーを作る作家ってすごいと思う。

神の能力を持つ人間!(^○^)

コロナは真実をあぶり出す。

コロナは真実を炙り出す。

厳しい真実と向き合って、日々うつが深くなっていく。その反面、言い方は難しいけれど‥

今まで見ようとしなかった真実、見えなかった真実が次々とクリアになっていくことに、爽快感のようなものも感じている。

それは、やっぱりみたくなかった真実なのに(^◇^;)。

 

本当はどうなんだ。本当のところはどうなんだ。

真実が知りたい。

 

というのは、いつも自分が望んでいたことだった。

 

知りたいのは、本当の自分の気持ちであり、身近な人の気持ちであり、もっと遠くの偉い人やお金持ちたちの気持ちだった。

世の中の仕組みやからくり、世界の仕組みはどうなっているのか。

そもそも生命っていったい何だろう。生きていて意味はあるのか。

こんなとるに足らない自分が、生きていていいのか。

 

いろいろな疑問が日々自分の中に渦巻いていたが、真実は何重にもくるまれていて、世の中の流れは早すぎて、よく考えている時間がなかった。

その上、口のうまい人というのはたくさんいて、真実じゃないことを真実っぽく話す。それぞれ自分の正しさを降りかざす。そして無数の情報に真実は埋もれていく。

 

なんだか、何もかもが過剰で、何もかもあるように見えるのに薄っぺらで上っ面、のような気がしていて、ずっと心の中でイラついていた。

本当のところが知りたい!

立ち止まって考えたい。

でもそれは無理なんだろう、と諦めていた。

 

コロナは、平和な日本でぬくぬくと生きてきたオレたちに、初めて生命の危機を生々しく感じさせた。

命が危ない、なんて時になって初めて色々なことが見えてくる。

カッコつけてる場合じゃない。それぞれの真実が明らかになっていく。

本能的に保身に走る。その度合いで各々の人間的な度量がクリアになる。

どれだけ人のために動けるか。その度合いでその人の本当の気持ちがクリアになる。どこまでが本当に大切な人なのか?その範囲が広ければ広いほど、その人は尊い人なんだと思う。

 

何かことが起こると、行動せざるを得ない。

その時、言葉で覆い隠されていた真実が、シンプルに、力強く明らかになる。

 

 

 

1日は一生の縮図。

おお、何かのことわざみたいだ(^○^)。

最近、そんなふうに思うことが多い。

 

朝から(若い時から)、今日は(オレの人生は)これをやる!と決心して計画を立てると、割と一日が順調に、思い通りの1日を(一生を)過ごせる。夜には(晩年には)、自分の意思通りに動いた、という充実感でいっぱいだ(^○^)。

 

それが朝からぼーっとしてノープランだと、ずっとだらだら、何となく過ごしてしまう。

特にやりたいこともやる気もないので、とりあえず面白い物が転がってそうなネットを見ていると、いろいろ誘ってくるので、次々に見てしまう。気がつくともう午後も遅い(中年)。今から何かやるって気にもならないしなー無理だろ、と諦めて、1日中だらだらすること決定(^○^)!夜になって

 

「今日一日、オレは何をしていたんだろう。無駄に一日(一生)過ごしてしまった(−_−;)」

 

とぼんやりした頭で反省する。まあそれなりに楽しんだんだけどな、でも何を見たかよく覚えていないんだよな‥。

 

昼と夜を合わせた時間は、午前中よりずっと長い。

それなのに、午後遅くから寝る前までの時間は、本当にあっという間に過ぎてしまう。

これも、歳を取れば取るほど年月があっという間に過ぎてしまう、という実感と似ている。

まだまだ寿命があっても、もう無理だろ、と諦めてしまうところも似ている(^○^)。

 

毎朝生まれて、毎晩死ぬ(寝ることね)。

毎晩後悔している。同じ過ちを何度も繰り返す。

そしてある日、本当の死が訪れる((((;゚Д゚)))))))。

 

 

中年以降、何かやろうと思ってできないこともない。でもそれは若い時よりも強い決心が必要だ。これまでだらだらしてきた人(オレ)に、それは難しい‥だらだらとの決別‥(−_−;)

 

‥‥一生、と考えるからできそうにないと思うのだ。今日1日、自分のやることを考えて、自分の思った通りに動いてみよう。やらされてるものじゃなく!

人生的には夕方だけど、1日的にはまだ朝だし!

希望のもてる時間帯!

じゃ、そゆことで。(^○^)

 

不安定な心を安定させる方法。

コロナ禍‥

地震

台風‥

大雪‥

ひどい格差社会

ここのところ不安だらけの世の中だ。

ただでさえ不安定な心が、これじゃますます不安定になるってもんだ!

頼れる家族を持っているひとたちはいいさ!

家族の絆とかいっちゃってよー!

コロナでかえって繁盛している商売とか、投資家はいいさ!

余ったカネの行き場がないから株やってまた大儲けだとー!ふざけんなー!!

 

‥ああ、ひがみも混じって心の不安定さは増すばかり‥( ̄∀ ̄)

 

昔、一神教はよくわからない、ピンとこない、という事を書いたけど、最近よく考える。

厳しく辛い環境にいる人に、一神教は響くんだな、と。

 

pelky.hatenablog.com

 

世の中から、幸運から、見放された気がしている人たち。

不条理だと、ひとりぼっちだと心底感じている人たち。

オレも最近、そんな気持ちに打ちのめされそうになることがある。

 

そんな時!

 

「あなたがどんな状態でも、いつでも見守っているよ。決して見放さない。あなたの気持ちはよくわかっているよ。大丈夫だから!」

と、いつでも暖かい目で応援してくれる、頼れる素敵な人(神だけど(^○^))がそばにいる!

 

(‥想像‥)

 

これ、本当に心底信じられたら、かなり精神的に安定すると思う。

 

 

しかし、これが大きな団体になって力を持ってしまうと、趣旨がずれてくるというか、いろんな思惑が入ってくるというか、一気に悪の巣窟みたいになってしまうのが怖い。歴史をみると、宗教を利用した(本気で善意の人もいた)大惨事が至るところで起きている。

 

宗教は結局、ひとりひとりの心の中の問題だと思う。それを他人に無理強いしていく時(いや善意のことも多いんだけど、それが余計に怖い)不幸が始まる。そして多数の信者を利用しようとする時から、恐ろしい堕落が始まる。

 

オレが思うに「推し」っていうのも一種の一神教だな。寄付金はライブ代とグッズ代くらいで大丈夫だし。平和的な、もしかしたら、理想的な宗教かもしれない。「推し」がいい人だったら信者(ファン)も影響受けて、結構いい人になってる。みていて幸せそうだし。

 

ああ、オレも「推し」を見つけたい。

(結論はそれか(^○^))

ーー

 

 

 

 

 

 

アンタッチャブル復活、おめでとう(>▽<)!

去年一番嬉しかったできごとがこれ!(これか(≧▽≦))

もう復活は難しいかな、と絶望していたあの頃‥

 

pelky.hatenablog.com

 

柴田もよく我慢した!

 

この間、中居くんの番組の中で、復活まで10年もかかったことについて伊集院光の言っていたことが、とてもしっくりきた。

 

「柴田はかわいそうな俺を拾い上げてくれた山崎、という関係では復活したくなかったと思う。それはあいつのプライドだと思う。

山崎の方は、一人でもうまく行ってて楽しそうだったし‥ただただ、面倒くさかっただけだと思うよ(^O^)」

 

ホントにそうなの?と中居くんに聞かれて、柴田は

「プライドっていうか‥そんなの絶対笑いにくいじゃないですか!」

と言っていて、柴田もお笑いをよくわかってるなあと思った(何目線だ)。

 

あせって安易に復活されても、笑いにくい。

それは、柴田の味方の客であっても同じことだ。

柴田はそこをよくわかっていた。

テレビにほとんどでなかったので知らなかったが、ひとりでこつこつと仕事をがんばっていたという。えらい!

 

オレが一回、目を背けたくなるような思いをしたのが、問題を起こしてからそんなにたっていないころ、「サンデージャポン」に柴田がゲストで呼ばれた時だった。

テリー伊藤が柴田のことを、「女好きなゲス野郎」として笑いを取ろうとしていて、

柴田も慣れないながら、一生懸命それに対応しようとしていた。

わかるんだオレも。テリーさんも番組も、復帰させようとして善意でやっているってこと。

だけど違う。あまりにキャラクターと違うことを無理にやらされている感じがして、見ているこっちがつらかった。

そのとき、もう柴田の復帰は無理かもしれないと思ったのだった。

 

そして今回、復帰の顛末を聞いて、思った。

「やっぱり素直って最強だ!」

柴田は、基本的に気持ちがまっすぐで素直な性格だ。

一方、頑固でアツくて正義感が強いところもある(だから周りに面倒くさがられる)。

オレは柴田を見るたび、落語に出てくる江戸っ子を思い出していたのだ(>▽<)。

 

 

一方山崎はそんなに熱くない、常識的な大人だ。

柴田のほうは「絶対いつかまたアイツと一緒に!」とずっと思ってたと思うが、

山崎は「まあどっちでもいいけどー、好感度上がるし、たまには2人でやってもいいか〜」

という程度のさらっとした感じだと思う。

伊集院さんに1票(^O^)!

 

なにはともあれ、そんな感じでさりげなく復活したのもアンタらしくていい。

お涙頂戴の感動秘話風にしなかったのも、大人っぽくてとてもよい(⌒▽⌒)。

山崎も、面倒くささを超えて復活してくれて、本当にありがとう(>▽<)!

世の中、まだまだ捨てたもんじゃないな!

 

問題を起こした全ての芸能人に柴田を見習ってほしい。

逆境になっても決して腐らず、陽の当たらないところでも工夫してできることを見つけて(そこが芸のみせどころ)、希望を失わないでほしいのだ。

オレは、不遇時代があってもひねくれず、柴田がそのままの性格でいてくれたことが、とてもうれしいのだ。

 

明るいところにいたはずの芸人が、暗くすさんだ姿なんてみたくない。

エネルギーを与えてくれていた存在が、それを奪う存在になることこそ、客にとってつらく悲しいことはない。

 

 

一つ心配なのは、番組でやった占いで、柴田に女難の相がでていたこと(⌒▽⌒)。

人がいいだけに心配だ。

また10年復帰を待つなんていやだからな!女には気をつけろー。

楽しさの深さについて考えてみた。

①最近ありがちな休日の過ごし方。

YouTubeで好きな芸人やミュージシャンの動画や犬猫の可愛い動画見たり、プライムのおススメな映画をなんとなく見たり。

クリックするとすぐ出てくるから手軽だし。

次々にそんなことをしているとあっという間に休日が終わる。

 

②こんな休日もある。

好きな曲を弾いてみる(楽譜または耳コピで)。

好きな絵を真似して描く。

動画や本を見て、雑貨を作ってみる。

 

③それからこんなことしていることもある。

テキトーなイメージでテキトーに弾く。

下手くそな絵を描いては消す。

その辺にあるテキトーな材料(ガラクタ)で、自分が今必要な便利グッズを雑に作る。

妄想の世界に遊ぶ。

 

質の高い内容としては①②③の順だと思う。

①本物の芸や芸術、評価の高いものを鑑賞できる。

②そういう芸の一端を(未熟ながら)直接体験できる。

③まるで価値がない。

 

しかし不思議なことに、没頭する深さや、終わった後の爽快感、頭がスッキリして笑い出したくなるような気持ちになるのは

断然③②①の順なのだ。試行錯誤の無駄な時間がかかるのもその順。

 

素晴らしいプロの芸を見るのは、それはそれで楽しいし感動する。

でも実は、それ以上に自分で何か作り出したり考え出すのは楽しい。

人間は本来、自分で勝手に何か作り出すのが好きな生き物なのかもしれない。

それがしょーもないことでも。結果的には時間の無駄でしかなかったとしても。

無駄な時間が一番楽しいとなると、充実した人生、の意味がちょっとわからなくなってくるな(^○^)。