間違った道って何だ?

ここ数年、気がつくと巻き込まれて、いろいろ大変な目に合ってる。

だいたい優柔不断だから、逃げるのが遅いというか、気がつくと

「どう考えても、もうオレがやるしかない状態」

になっていた。

あるいは、選ぶことができたのに、周りのカンジ(圧とか期待とか)に流されて、気がつくとそっちを選んでた、ということもあった。

どちらにせよ、そっちに行ったからにはもう逃げ道がないという感じだった。

 

そんなことをなんとかかんとか切り抜けて(まだ最中なのもあるけど)最近、

 

「実はどっちを選んでも大差ないかもしれない」

 

と思うようになった。悟り?負け惜しみ?

でもちょっとこれは実感だったりする(⌒▽⌒)。

 

選んだ(流されたにしろ)道が苦労の連続だと、何かにつけて

「ああすればよかったなー」

「あっちの道を選ぶべきだったなー」

と、くよくよ思い悩む。

また、善意の友達が

「ああすればよかったのにねー今更言っても遅いけど」

とか同情して、追い打ちをかける。腹立たしい(>▽<)。

自分にも友達にも。

そして、そのイライラが苦労を不幸にしてしまう。

 

本当にやることが多い時には、苦労だ不幸だ言ってられなかった気がする。

悩んでる暇がないというか。やること多すぎて。

それはとても実際的な行動の連続だ。とにかくやるしかないのだ!

 

それが終わった時みんなは

「無駄な苦労だった」とかいうけど、本人的にはそうでもなかったと思う。

時間の無駄、お金の無駄、精神的疲労を感じる無駄、労力の無駄。

そんなことやっている間に楽しいこともできたのに。

 

でも、楽しく遊ぶだけが人生ですか?と思う!(急になんだよ)

うーんできたらずっとそういう状態でいたい(どっちなんだよ)

 

楽しく遊んでいるのも楽しい。でもずっと楽しいことばかりしていると、感動が薄れるというか、かすかな倦怠感みたいなのが出てくる。

それでも楽なのは大好きだし、やっぱり楽しいことをしていたいけど、少し物足りなくなる時がある。

 

大変なことはしたくない。自分の時間を不快な時間にとられたくない。

それでもそれをやらざるを得ないとき、もう覚悟を決めてそれに向かい合っていくこと、

それもやっぱり貴重な時間の使い方なのかもしれない、と思う。

楽しい!とは思えなくても不幸だ!とも思わずに淡々と乗り越えていくこと、

それはそれで何か大切なことをしている時間なのかもしれない。

終わった時の充実感みたいなものを思うとき、長く残るのは大変なことを乗り越えてきた思い出の方かもしれない。

 

そう思うと、人生なるべく楽しくて楽な方がいいけど、もし苦労をしても、それはそれでいいんじゃないかなと思ったりする。

なんかうまく言えないけど。

 

それでも苦労はやだけどね(⌒▽⌒)!

きたらきたで、しようがない。くるなら来い!料理してやる!

って気持ちでいれば、何がどう転ぼうと、何を選んでもあんまり後悔することはないかなと思うように、少しだけなった。

これも苦労のたまもの。か?

まー、悟ったようなことを言いながら、何か友達に言われたくらいですぐカチンときたりしてるわけだが(⌒▽⌒)。

 

Youtubeから抜けるのは思ったよりずっと大変。

Youtube視聴記録を1週間メモしたが、スクリーンタイムと視聴時間が大幅にずれていた。

動画を見る時間が大幅に減ったと思ったら全然減ってなかったことにやる気をなくして(ホントはメモするのも面倒くさくなって)、気がつくとまたただたYoutubeの動画を見続けている私‥。

これは相当重症かもしれない。いかんいかん、でももう一本だけ‥

ってこれじゃ今までと変わらんわ!

でも、仕事から帰ってきて疲れてるし、こちとら気軽に楽しいものを見たいのだ!

 

心の中で悪魔と天使が戦っている。

そしてだいたいいつの間にか天使がいなくなる( ̄◇ ̄;)。

 

Youtubeをこんなに見るようになる前も、建設的な、仕事に役立つようなことは、ほとんどしてなかった。いわゆる時間の無駄遣いみたいなことには変わりはなかったかも。

 

でも、もう少し自分が主体でやる遊びをしていたと思う。

そう、Youtubeをみることは遊んでいるとは違うニュアンスがある。

一番違うのが、終わった後の気持ち。

やっぱり自由時間のほとんどをYoutubeをみることに費やしているのは、いくら動画のクオリティが高かろうが、いやもしかしたら高いからこそ、自分を見失っていく一方だと思う。

つらくても、くだらなくても、たいしたことなくても。

ちゃんと自分と世界に向き合って生きていかないと、と思う。

わかっちゃいるけど、実際にやっていることは今までと変わらん。

自分のことをやる時間がぜんぜんないのだ!時間がないのだ。

Youtubeみてるせいで。

こんなに誘惑に弱いとは!

そんなに面白いコンテンツが周りになかった昔は、そういう意味ではよかったのかも。

 

 

 

 

 

Youtube中毒脱出計画その1。視聴記録をメモする。

ダイエット方法で

「食べたもの全部書いてくだけで痩せられる」

というのを聞いたことある。

それに倣って、1週間で見た動画を全部記録することにした。

今日見た動画。

 

コナン 30

テムテム 4

バッパー翔太 アメリカ最貧の街 40

堂本兄弟 三谷さん 25

堂本兄弟 長瀬智也 25

師匠 ゴーピアノ 10

 

えーっと合計は‥

めんどくさいから、今後はエクセルで記録しようっと。

 

それにしても、一個一個はテレビに比べて短めなので、次々に見てしまって、、気がつくと時間がすごく経っている。

 

【1週間経過した結果】

1週間メモしてみた。結構やたら手当たり次第に見てる。

でもメモしていると、だんだん見過ぎじゃない?とか思って前よりも辞めれるようになった

‥気がする。

計算してみると、だいたい1日1〜2時間の範囲で収まってる!やった!

 

と思って、ふとiPadのスクリーンタイムで視聴時間を調べてみた。

(設定→左側をスクロールしていくと砂時計マークのスクリーンタイム→右側の表をタップする→1週間の視聴時間と平均視聴時間が表示される)

 

「1週間の平均タイム5時間12分」

だと!計算が合わない〜。

そんなに見てるか?家にいる時間を超えてるぞ!(睡眠時間除く)

 

それにしても、Youtubeってテレビよりねばつくっていうと変だけど、より離れるのに困難な気がする。見るのに疲れても、つい次々に見てしまうのはなんでだろう。

 

 

 

YouTube中毒脱出計画。

あ〜本当にコレ、深刻な中毒かもしれない。

と、思ったら1年以上前にも同じこと書いてた( ̄◇ ̄;)。

進歩ないな‥。

 

それにしても、YouTubeの内容は年々レベルが高くなっていて、本当に面白い。

テレビの時代、本当に見たい番組は週1〜2本しかなく、その日を楽しみに待っていたけど、YouTubeは際限なく自分の好きなタイプの動画を見られる。

好きなアーティスト、好きなバラエティ、好きなドキュメンタリー、好きなアニメ‥

次から次へ、すごい面白く貴重なものを手軽に見られる。

こりゃ見るなってほうが難しい。

自分にどうしてもやらなければならないこととか、明確な目標とか持っていない限り、

ただの「動画を見続ける機械」になっちゃう気がする(^▽^;)。

 

あんなに高レベルな番組、いや動画を惜しげもなくみせてくれるのは幸せだけど、こちら側としてはとにかく見過ぎが問題!

自分の人生を生きる時間が本当になくなる。

まあ、そこに失望しているからこそ動画に逃げてるんだと思うけどさ。

でももう無理かな。

もうどうしようもないかな。

 

‥と思ったやつが負けだ!(誰?)

よし、明日からヤク抜きならぬ、動画抜きをしてみよう。

急に抜くと禁断症状がでるから、少しずつにしよう。(甘い)

いまんとこ、出勤前と家帰ってから寝るまでほとんどずっと見てるから、

まず1日2時間までだ!いや3時間(甘い)

そしてまず、Youtubeを見ている時間を少しでも他の娯楽に充てるのだ。

勉強とか自己研鑽とかじゃなくて「他の娯楽」!(甘い)(⌒▽⌒)

昔、オレにはもっと余暇の時間の楽しみ方がいろいろあったはずだ!

思い出せ〜。

 

問題は、終わったあとの自分の充実感なんだと思う。

YouTubeは見ている間は楽しいけど、その後いつも、虚しさと後悔が残る。

とにかく時間使いすぎだ。

正確に言うと、本当に楽しいのは最初の方だけで、最後の方は機械的にただ次から次へ見てる感じになってると思う。

ちょうどいいところでやめることができないというのはやっぱ中毒!

 

 

 

 

「大家さんと僕」の大家さんについて考えた(いまさら(⌒▽⌒))。

「大家さんと僕」の大家さんについて考えた。

大家さんはおばあさんだけど、少女のような純粋さとロマンチックさ、ふわふわした感じを持っている。

大家さんは素敵な人だなと思っていたが、大家さんの素敵さが保たれたのは、運の良さも大きいと思う。

おばあさんになるまで、お兄さんやお姉さんが生きていた。

お兄さんとは矢部さんの引っ越してくるつい数年前までは一緒に住んでいた。

あんな感じの大家さんだから、「この子はロマンチストだから」

とか言われて、お兄さんやお姉さんに可愛がられて、大事にかばわれてきたんだろう。

その上、財産にも恵まれている。

旧友と会ってそのまま高級ホテルに泊まるとか、普段の買い物が伊勢丹だとか(^▽^;)、好きな本を好きなだけ買えるとか(うらやましい!)。

お金のある人にはみんな優しい。

周りの人が優しければ、自分も世界を信頼し、優しくなれる。

ずっと「お金持ちの家で育った可愛い箱入り娘」

でいられたんだろう。

 

教訓:

お金に困らないなら、いい人でいつづけられるのはけっこう普通(⌒▽⌒)。

 

 

だから、やっぱり本当にすごくいいなあと思うのは、苦労をしながら、それと正面から自分で向き合いながらも、悲壮感がない、明るさが漂っている人なのだ。

 

 

 

 

そういうタイプじゃない賢者の話を聞きたい。

論理的に明晰な話をする新進気鋭の大学教授とか、お金もうけがとても巧みな人とか、そういう人の話はわかりやすくて解析も鋭くて、賢いなあ、と感心する。

けれど、私が本当に聞きたいのはそういうタイプの人の話じゃない気がする。

 

じゃどういうタイプの話だよ?と言われると難しいけど。

実生活でたくさん厳しいことを経験していて、寡黙な人がたまーにもらす一言、みたいな。

深いことを言っているようで、よくわからない一言とか。

特に語らないけど、たくさんの愛情をもっているな、と感じられる人がいる。

そういう人の語る言葉とか。

 

本当に聞きたいのは、そういう人たちの話なのだ。

でもそういう人は、めったに語らない。

何も言わず、ただ行動している。

それをみてますます、何を考えているのか、話を聞いてみたいと思う。

話を聞いたところでそれがためになるのか?というとそうでもないかもしれない

けど(⌒▽⌒)。

なんかうまく言えない。

でも色々見るたびに思う。

オレが聞きたいのはそういう人の話じゃない!と。

どこかで生きてさえいてくれればいい。

昔は身近にいたけれど、もう縁遠くなった人が何人かいる。

かつては毎日のように遊んでいた友達。

小さい時から大人になるまで、一緒に住んでいた兄弟。

好きだった人。

 

その中には、今でも自分の中では大事な人もいる。

今また会ったら嬉しくてたまらないだろうなと思う人。

でも、関係が悪くなって離れた人のことを思い出すと、

今会ってもやっぱりコミニケーション取れないだろうな、と思う。

会った時のことをいくら想像しても、

刺々しい言葉、沈黙。拒否。そんな場面しか想像できない。

あ、やっぱりどうしようもないな、と思う。

 

大事に思っている人たちには、二度と会えないとしても、ずっと元気で幸せで笑っていてほしいなと思う。

でも、もう無理だな、どーゆー性格だ!と思って離れた人にも、やっぱりどこかで笑って生きていて欲しいのだ。

私とは無理だったとしても、どこかで心の通う、信頼できる人を見つけて、幸せになっていて欲しかった。

ひょうひょうとずうずうしく、生きていて欲しかった。

それをどこかでみたら、それはそれできっとムカつくわ〜あんな奴が!

と言うかもしれないけど。

それでも、生きてさえいれば、どこか笑い話になる余地がある。

 

いつか、言えなかった文句が言えるようになるかもしれない。

いつか、もう少しわかりあえたかもしれない。いやそれは無理か(⌒▽⌒)。

それでも、生きているということは明るさがある。

変わるかもしれないという希望がある。

 

どこかで生きてさえくれればいい、なんて無責任だ、偽善だ、と言われるかもしれない。

そう言うからには、親身になってかけつけて助けろよ、と言うかもしれない。

そうだよな、って考えてみると、ごめんそこまでではないか、と思う😝。

こっちはこっちの人生で大変なのだ。

すごい困ってたら駆けつけるかもしれないけど、そもそも疎遠だから、今困ってるかどうかもわからない。

ならそんなこと言うなよ、白々しい、と言われるから口に出しては絶対言わない。

むかついて離れた人にも幸せに生きていて欲しいなんて。

それでもこれは本当に本当の本心なのだ。

どこかで生きていて欲しい。私の知らないところで。

ずうずうしく、けっこう幸せを感じて生きていて欲しい。

希望を失わず、明るく生きていて欲しい。

生きてさえいてくれればいい。どこかで。

 

生きてさえいてくれれば、思い切りそいつの悪口を言える。

でも、死んでしまったらもう何も言えない。

何も文句も言えない。

いい人だったことにされて、上部だけの話で丸く収められて葬られる。

それは真実ではない。

そいつにも不公平だし、自分にも不公平な気がする。

 

生きているということは変わり続けるということだと思う。  

良くも悪くも、流れていく。

死ぬと言うことはその時点で固定されることだ。

もう変わることはない。

思い出は美しくあって欲しいから、だいたい美化される。

そして一件落着、という感じ。

 

生きているということは、変われるかも、という希望がある。

今思う通りに生きられていない人こそ、周りや自分自身が否定してくる声なんか無視して、

希望だけは絶対に離さずに、生き続けるべきだと思う。なんとしたって。