先のことなどわからない。

やっぱり投資とかやっといた方がいいのだろうか?

新NISAもできたことだし。

と、急になんとなく焦って、動画を探してみた。

でも、投資家とか経済評論家の顔つきがなんか嫌で、少し見るとやめてしまった(^▽^;)。

 

しかし先日、とても穏やかそうな人が、とてもわかりやすく明るく解説している動画をみつけて、いいなあこの人、面白い、と気がつくと最後まで見てしまった。

 

その解説の中で、老後の貯金がどれくらい必要かというのをまず大体割り出すのが大事、と計算式を表示していたのだが、どうしても不確かな要素が

「リタイア後何年生きるか?」

というところ。

 

「『オレはそんなに長生きしないからいいんだよ』とか言う方がいますが、そういう方にかぎってけっこう長生きするんですね(⌒▽⌒)。平均年齢からいっても、まあ80歳、85歳くらいまでは生きるとして‥」

とにこにこと解説をしているその人は、健康的で幸せそうに見えた。

 

 

そして同じそのひとが、1年後に解説している動画もみつけた。

別人のように痩せていて、がんが転移してしまって、と言っていた。

 

「病気が苦しいと言っても、ずっと同じように続くわけじゃない。今日も体調はあまりよくないけれど、気分はいいです。」

「どうなるかわからない、それはもうなるようにしかならない。不幸とは思わないけど、ただ残念です。これからどうなるか見届けられないのが」

ということを淡々と言っていた。

 

顔つきも厳しくなっていて一年前とは見た目は別人だったけれど、やっぱり嫌な顔立ちにはなっていなかった。

言っている内容は全く変わらず、この人は本当に、素人にも本音を伝えてくれていたんだなあと思った。死が目前に迫っていても、揺るがない信念のようなものを伝えてくれようとしている。言っていることが変わらないのがすごいと思った。

 

知らなかったが、私がその動画を見ていた数日前に、そのひとは亡くなっていた。

まだ60代半ばくらいだと思う。

 

老後に備えてなんとか貯金しなければやばい!と焦っていた私の気持ちはちゅうぶらりんになってしまった。

当然のように80代くらいまでは生きると仮定して、金がないとあせったけど、当たり前だけど、いつ亡くなるかなんて誰にもわからない。

先の先まで考えてお金を貯めなきゃと思うことが何かあさましいようにも思えた。

 

でもあの動画の人が

「そう言う人に限って長生きするかもしれませんよ〜(⌒▽⌒)」

と、あの世からにこやかに言っているような気もする。

 

お金のことって本当に難しい。

なきゃ困るけど、増やしゃいいってもんでもない。と私は思う。

 

あるならあるなりに、ないならないなりに、楽しく生活できる、あまりきゅうきゅうしない、というのが理想的だと思うけど、それには器が必要だな(⌒▽⌒)。

どういう状態になっても嘆かない、淡々としていたあの解説の人は、格好良かった。

 

 

(ある程度)貧乏な方が楽しいかもしれないと思ったわけ。

実は今日、お正月用のアレンジメントの花を買いに行ったのだが、やたらと高い。

すごく小さいアレンジメントでも4000円くらいする!

花ってこんなに高かったっけ?w( ̄Д ̄;)w

 

そこでオレはスーパーで花を買い、100均で黒いプラスチックのおわんとオアシスを買い、自分でアレンジメントを作ったのだ。総額1500円(⌒▽⌒)。

豪華な花は入っていないし、花屋のアレンジメントよりずっと残念な仕上がり。

全体的にダサいのだ。

でも作っている間、とても楽しかった!

微妙な出来具合さえ、なんだか愉快なのだ(⌒▽⌒)。

 

しかしオレがもしお金持ちだったら、迷わず花屋で大きなオシャレなアレンジメントを買っただろう。

作る手間とか面倒だし、その割にダサいのができるだろうし、時間の無駄無駄!と思って。

 

なんであれ、自分でやる方が楽しいのだ。

わかっているけど、手軽な方に手が出てしまう。

簡単だし、プロの方が確実にレベルが高い完成品が手に入るから。

そして、レベルが高いものを鑑賞するのはやっぱり楽しいから。

それでも、自分で実際やるというのは、楽しさのレベルというか、質が違う気がする。

 

そこまでわかっていても、自分でやらなくてもよければ、自分でやらない(⌒▽⌒)。

貧乏は時にして、自分で考えて自分でやることを強制的に促す。

手に入らないから、仕方なく。

でもそれが、思いがけない楽しさを生み出す。

 

あんまり贅沢はできないけど、「まあまあ食っていける程度の貧乏」くらいがちょうどいいのかもしれない。怠け者のオレには。

 

ああでも、あくまでも自分は楽しいが、そこに他人の目線が入ってくるとメチャクチャ悪口言われることはあるので、その辺がねー( ̄◇ ̄;)。

密かになんか作ってるっていうのが一番楽しいかも(⌒▽⌒)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

YouTube中毒‥( ̄ロ ̄|||)

アルコール中毒とか麻薬中毒とか、中毒ってこういうこと?

youtubeをみながらぼんやりそう思った。

やめられないとまらない。

youtubeだけじゃなく、ネット検索も止まらない。

何か知らないことがあるとすぐその言葉を打ち込む。

検索するほどのないことでも。

芸能人の名前とかどうでもいい単語とか。

 

Youtubeのおもしろ動画や癒し系動画、生活系動画‥

もう心の奥底では飽きているのに、次々と見ていく。

そして時間がなくなり、寝る。

こんなことでは、一年があっという間に経つのは当たり前だ。

仕事に追われているか、ネットに追われているか( ̄◇ ̄;)。

暇つぶしとか息抜きの域をはるかに超えている。

自分のこと、本当に大事なことに向き合う時間がない。

 

そう、原因はわかっているのだ。

向き合う時間が「ない」んじゃなくて、あえて「なく」している。

向き合いたくないんだ。

真剣に考えても、八方塞がりな気がする。

先のことを考えると絶望的な気持ちになる。

わーっ!!!

ってなりそうになるから、必死で気を逸らしている。

テレビをなくして自分の時間が増えるかと思ったら、ネットの中にはおもしろい動画がたくさんあって際限ない。

今思うとテレビはつまんないのも多いから、あきらめてみるのやめてたけど、ネットは怖い。

見てる時間の長さがどんどん伸びていって、気がつけば自由時間はほぼ見ている感じになっている。

たしかにおもしろい。

自分の人生よりずっと素敵なものがみられる。

でもこれで、一生終わるっていうのもどうなんだろう、って思う( ̄◇ ̄;)

 

貧富の差があっても友情は続くか?

ずっと友達でいたい人が何人かいる。

もう何十年来の友達だ。

闇に落ちそうになるとき、友達のことを思うと正気に戻れる気がする(⌒▽⌒)。

向こうはそうでもないと思うが、

こちらは絶対必要な友達!と思っている。

 

私が貴重な友達だと思う人たちには共通点がある。

常に明るいところと、現実的な感覚を忘れないところ、それでいて感受性が鋭いところ。

友達がぶつかったできごとについて、どう感じたか、どう行動したかということ聞くのがとても好きだ。

長年生きていればいつも愉快で楽しいこと、美しいことばかりではない。

思いがけない不幸や嫌な目にも会うことがある。

いつも楽しげに見える友達たちいずれも、それぞれ大変なことを乗り越えてきた。

そのことを思うとき、自分がひどい目にあったときにも乗り越えられるような気がするのだ。

 

友達を見ていて思うのが、心を暗くするのは出来事そのものじゃなく、自分なんだなということ。その出来事に対する心構え次第で、気持ちや行動は大きく変わってくる。

 

友達だってひどい目にあったときは落ち込んでいる。

でも、陰々滅々という感じにはならない。

いや、本人は陰々滅々という感じなんだろうけど、周りから見ているとそれでもどこか明るい。

何かそういう人たちの中には常に灯りがあって、ひどい目にあってもそれは消えない、というような感じがする。

深刻に同情しようと思っても、何かおかしみがあるので同情できない(⌒▽⌒)。

この人なら大丈夫、という安心感がある。

それにいつも感心してしまって、ああいうふうになりたい、と思うのだ。

 

振り返ると何かとひどく落ち込む自分がいる。

自分の中で持ちきれず人に話すと、ドヨーンとした空気が相手にもうつってしまって、いつもしまった!変なこと言うんじゃなかった!と反省する。

 

なぜひとにまで感染させるかと言うと、私はそのとき絶望しているからだと思う。

何か提案してもらっても、そんなの無理、こっちも無理、と全否定。

どうしていいかわからないー!となっている。

書いてて思ったけど、つまり自分で本当に解決する気がない。

どこかに突破口を開く勇気がない。

自分でやるしかないのに。

それを人に押し付けたら、そりゃどよーんとするか( ̄◇ ̄;)。

 

そんなオレが最近心配しているのが、貧富の差(^▽^;)。

友達はみんなきちんと人生を切り開いてきた。その結果みな将来的にも心配ない財産がある。

それに比べてオレは、後何年生きられるだけの金があるか、と心配するレベル。

最近そのことに気づき、焦りを感じている(遅い)。

 

貧富の差があっても友情は続くか?

続かないことはないと思うが、双方が精神的にそうとう成熟していないと無理かもしれない。

生活レベルや環境が違うと、だんだん考え方もずれてくるだろう。

それに一緒に遊びづらくなる。行きたいところや食べたいものが違うから。

いやこっちは行きたいんだけど、金銭的に余裕がないといけない(T_T)。

こっちだって遊びたいし買い物したいんだー、

と自分は嫉妬の嵐!

友達側は、一緒に遊べないし、会えば嫌味言うし(嫉妬が漏れ出る)、なんか疲れるーと、もうめんどくさくなって去っていく‥。

 

待ってー!!

(妄想)

 

でもこれ、オレの精神レベルだとかなりリアル。

そんなの絶対いやだー!

人間的に大きくなるのは無理だから、

(今までの経験だと、大きいフリはできても後々爆発する(⌒▽⌒))

金持ちになるしかないけど!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後悔の正体について。

あのときああしていればよかった。

と思い出しては、くよくよすることがある。

ふとしたとき、後悔は訪れる。

 

でも、本当に別の道を選べばよかったのか。

そちらにいけばそれはそれで後悔してたんじゃないか?

と、よくよく考えるとそんな気もする(⌒▽⌒)。

 

選んだ方の道は現実となり、欠点もはっきり現実のものとなる。

一方、選ばなかった方の欠点はぼんやりして見えなくなる。

選ばなかった方の利点ばかりがはっきりしてくる。

 

でも、選ばなかった方の道は、それはそれで欠点はあったはずだ。

そうでなければ、選択のとき、あれこれ迷わなかったはずだと思う。

 

結果から見てああしたほうがよかった、と思い煩うのは無駄だし、アンフェアな気がする。

選ばなかった道を選んだ時、今どうなっているかはわからないから、比べることはできない。

 

まあどっちがよかったかはわからないけど、どっちにしろもうその地点は過ぎてしまった。

今の地点からでもまた選ぶことは待っている。

人生は選択の連続(あ、なんか格言ぽい(⌒▽⌒))。

過ぎた選択は忘れて、また次の選択のことを考えよう。

もし、ほんとうに間違えたと思ったなら、今度の選択はそれをふまえて道を選んで見るのもいいかもしれない。

たぶん、それはそれで大変なことはあるんだろうと思う。

選ばなかった道の素晴らしさは幻想、だと思う。

 

それにしてもなんで現実になった方の長所はあたりまえみたいに忘れられて、欠点ばかりがクローズアップされがちなんだろう。

常に現実をより良いものにしたいという人間の本能のせいなのか?

ただ単に自分の後ろ向きな性格のせいなのか?

( ̄◇ ̄;)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今を生きるのだ!vs 計画性を持って生きよう!

どっちもすごく一理ある(⌒▽⌒)。

 

でもオレが魅力的だと思うのはやっぱり、

「今を生きよう!」って方で、

「だって何があるかわからないし、明日死んじゃうかもしれないから、今一番やりたい、楽しいと思うことをやろう!」

 

という言い訳、いや考え方をしてしまう(⌒▽⌒)。

 

それで、やらなきゃならないことがあっても、ついつい今やりたいこと(漫画読むとか気持ちいい天気だから出かけるとか)をやってしまう。

特に天気は重要で、最近ちょうどいい天気がそんなにないから、いい天気、となるとそわそわしてしまって、よほどせっぱつまった用事でなければ、予定していたことを投げ出して出かけてしまう。今日しかない!そして夜罪悪感と自己嫌悪(^▽^;)。

まあ出かけなかったらやっぱり後悔するんだろうけど、いったいどちらが正解なんだろう。

 

天気とか周りの状態にふりまわされていると、いつまでたっても計画が進まない。

取り組まなければならない問題はほっとかれっぱなし。

それらは、めんどくさかったり、大変だったり、気が進まないことなので、なかなか取り組まないんだろう。

やらなければ、の義務感がオレをゆううつにさせる(⌒▽⌒)。

ワクワクする用事だったら、また、その先にある素敵な未来がありありと想像できるなら、天気や周りの状況に左右されず、計画どおりやって後悔もないだろう。

つまり、より楽しい方に人は(オレは)動く!

ということなんだろう。

 

と結論づけたところで、だからどうすればいいのか?って感じだけどさ(⌒▽⌒)。

 

 

自分の人生を生きる難しさ。

自分の人生にちゃんと向き合ってない。

ちゃんと実際の今を生きてない。

と、ここのところ強く思っていて、焦りを感じている。

 

とかいいながら、いざ自分の時間が自由に使える休日になると、ただだらだら、一日中youtubeとかアマプラとかを次々にみていて、頭が麻痺したようになって1日が終わる。

やらなければならないこと、考えなきゃいけないこと、

そしてもしかしたら、もっと本当に楽しいこと、

をやらずにただ日々が過ぎていく。

そりゃ1年が早いはずだよ。記憶がないもん(⌒▽⌒)。

 

ネットのない時代も、基本休日は隙さえあれば無駄なことしてたけど(⌒▽⌒)、1日が終わった後のむなしさが違う気がする。

 

youtubeはホントに面白いのだ。

いろいろな分野で、才能のある人は本当にたくさんいるなあと思う。

見ても見ても、尽きることのない才能の塊の人たち。

で、

 

圧倒的なスペックの差に、自分でやる気をすっかり失ってしまう。

素晴らしい技術を見ている方が楽しい。

すごい、すごい!

となってしまう。

 

たぶんここなのだ。

徹底的に傍観者。

 

いくらその時間が楽しいと思っても、全然自分が参加していないというところ。

圧倒的な才能の差を見せ続けられる、というのは本当に素晴らしいことなんだろうか?

 

自分のへっぽこさにも気が付かず、夢中になって何かを作ろうとする、

できると信じている。

結果、時間とお金の無駄遣いになったとしても、その時間の間

、確かに自分は幸せだったんだと思う(⌒▽⌒)。

 

それが最初からやっても無駄だと思わされてしまう、この情報化社会!

コスパ的にはそれは賢いのかもしれないけど‥。

才能豊かな人にはたやすく大金が入る夢のような世界かもしれないが、その他大勢にとっては、希望の失われた世界だと思う。

どうせだめなんだ感がすごい。

 

そしてまた、ネットの中の世界があまりにキラキラしていて楽しそうなので、自分の厳しい現実に向かい合うのを避けたい気持ちがより強くなる。

我に帰りたくない(⌒▽⌒)!

 

だけど、それは人の人生。

どこかでわかっているから、楽しい!と思いながら心のどこかで

「こんなことしている場合じゃない」

と焦っているんだろう。

 

しかし、そう思いながらネットサーフィンする日々。

ネットってアルコールとかと同じ。ひどい中毒性があると思う。

ストレスのある人ほどはまりやすい。

こんなことしている間に人生が終わってしまう。

恐怖!

 

‥とりあえず、youtubeみて、気分転換するか!(←ここがダメなとこ!)