後悔の正体について。
あのときああしていればよかった。
と思い出しては、くよくよすることがある。
ふとしたとき、後悔は訪れる。
でも、本当に別の道を選べばよかったのか。
そちらにいけばそれはそれで後悔してたんじゃないか?
と、よくよく考えるとそんな気もする(⌒▽⌒)。
選んだ方の道は現実となり、欠点もはっきり現実のものとなる。
一方、選ばなかった方の欠点はぼんやりして見えなくなる。
選ばなかった方の利点ばかりがはっきりしてくる。
でも、選ばなかった方の道は、それはそれで欠点はあったはずだ。
そうでなければ、選択のとき、あれこれ迷わなかったはずだと思う。
結果から見てああしたほうがよかった、と思い煩うのは無駄だし、アンフェアな気がする。
選ばなかった道を選んだ時、今どうなっているかはわからないから、比べることはできない。
まあどっちがよかったかはわからないけど、どっちにしろもうその地点は過ぎてしまった。
今の地点からでもまた選ぶことは待っている。
人生は選択の連続(あ、なんか格言ぽい(⌒▽⌒))。
過ぎた選択は忘れて、また次の選択のことを考えよう。
もし、ほんとうに間違えたと思ったなら、今度の選択はそれをふまえて道を選んで見るのもいいかもしれない。
たぶん、それはそれで大変なことはあるんだろうと思う。
選ばなかった道の素晴らしさは幻想、だと思う。
それにしてもなんで現実になった方の長所はあたりまえみたいに忘れられて、欠点ばかりがクローズアップされがちなんだろう。
常に現実をより良いものにしたいという人間の本能のせいなのか?
ただ単に自分の後ろ向きな性格のせいなのか?
( ̄◇ ̄;)。