自分の絶望は自分にしかどうにもできない。

自分に絶望した、と思ったことも何回かある。

絶望している人の近くにいたこともある。

それでつくづく実感するのは、絶望は本人以外どうすることもできない、ということだ。

 

ちょっと待て!

それは、まわりのひとが助けてくれないからじゃないか?

負のオーラを感じてすばやく安全地帯まで身をひくからじゃないか?

それを感じてまた絶望するのだよ。

そう、誰も親身になってくれないから。

冷たい世の中だ。

 

と、思うのもわかる。

オレもそう思いがちだし。

 

誰も助けてくれない。

まわりは冷たい人ばかりだし、オレもこんな自分が嫌いだ。

誰も気にかけてくれない役に立たないオレなんて、生きてる価値あるのだろうかと。

 

その一方で、プライドもある。

もうどうしようもないやつ、とあきらめてるような顔。

いかにも同情してるみたいな、可哀想なやつ、みたいな目で見てくる奴。

いかにもな説教をしてくる奴。

そんな奴らの顔はみたくない!

と強く思ったりする。

 

うーむ。

 

自分が絶望している時はそんな分析してる余裕はないけど、絶望している人をなんとかしたい、といろいろ努力した時に、なんともならなかったときに思った。

その人の絶望は、本人がどうにかしたいと希望しない限りどうにもならない、と。

 

 

まわりがその人をどう見ているか、ということよりずっとずっと重要なのが、

その人が自分をどうみているか、というところだ。

 

その人が希望していた人生があって、それとずれたと気づいたとき、もう投げやりになってしまって、すっかり諦めてしまっているように見える。

 

例えば、イケてる人生。

 

みんなに注目されて、才能があって、自然とみんなに愛されて、がつがつしなくてもお金も自然とじゃんじゃん入ってきて、なんかうまくいっちゃう〜。

 

というような。

それとは違った自分に絶望している。

 

それで、まわりにいるひとがどんなにその人のいいところを力説したとしても、本人にとってはただのなぐさめとか同情にしか感じられず、心に響かない。

 

オレは絶望している人に、日頃思っているその人のいいところをものすごく力説したのだが、途中で無駄な努力してる、と思ってしまった。

全然伝わってないことが伝わってきたから。

ほんとうに言葉が空回りしている感じになってしまった。

彼の絶望感が、オレの言葉の真実を、虚しさビームで撃墜した感じ。

 

多分本当に問題なのは、現状ではなく、本人の絶望感そのものなのだ。

状況を変えよう、変えれる、と信じられなくなっていることが問題なのだと思う。

それと、昔の理想にこだわりすぎているところ。

そうでないと価値がない、と思ってしまっているところ。

 

ああ、うまく言えない!

とにかく、自分が絶望している時にはわからないことが、絶望している人のまわりにいると、いろいろわかることがある。

絶望している人は自分の絶望でいっぱいだが、絶望している人を心配している周りの人もやはり、その人の絶望感にやられそうになる。

自分の人生をかけてその人を助けたい、と思ったとしてもやはり、本人がその気にならない限りそれはおせっかいであり、うざい奴であり、ほっといてくれ!にしかならない。

 

そして、そもそも自分の人生を犠牲にしてまで助けてくれる人はそうそういないと思う。

でも、少し手を貸してくれるひとだったら、思ったより多いと思う。

だからこそ肝心なのは、変えよう、変えられるという本人の意志だ。

希望を捨てない、という意志だ。

 

人はプラスのエネルギーを持った人が好きだ。

どんな状況でも、生きる希望をもって朗らかに生きている人が好きだ。

自分の希望もチャージされるような気がするから。

絶望までいかなくても、やはりみんなそれぞれつらいことがあるから。

 

いつまでも絶望している人のそばにいる人はだんだんつらくなり、自然と離れていってしまうのが普通だろう。

それでますます絶望するのは間違いだと思う。

 

絶望している人は、いったん自分の絶望は置いといて、絶望している人のために何かできることがないか、やってみるといいと思う。

 

 

 

最近思うのは、そんなに自分に絶望されてる自分って可哀想すぎる、てことだ。

絶望したって勝手に思っているのは脳みそのほんの一部分だけで、そうとは知らず、体の中のほとんどの自分は、今日も自分を生かすためにせいいっぱい働いている。

けなげに働く37兆の味方!を無視してそんなふうに思うって傲慢すぎない?独裁者か!(⌒▽⌒)