「償わさせる」という言葉は日本人っぽくない。(2015.2.10)

イスラム国の日本人の人質が殺されたとき、阿部首相は
「必ず償わさせる」
と発言していたが、とても違和感を感じた。
何か、外国かぶれっぽいというか、無理してるというか。
借り物っぽいと言うか、とにかく身に付いていない感じ。
これは、日本人の感覚に合わない言葉だと思う。
(いや、オレも日本人代表じゃないからたぶんだけど)


どう言えばしっくりくるだろう?


「償ってもらいたい」とか
「自分たちのやっている行為の残虐さに気づいて欲しい」
とかかな?
人に強制するような言い方は日本人に合わない。



人を変えることはできない。
そう思っているから、
日本人はあまり議論しないような気がする。
「絶対○○だ」
という信念を持っている人は、何を言っても通じない。
たとえそれが誤解でも、
最初からあきらめているところがある。



私達にはそれほどの確信がない。
世の中は広くて、いろいろな環境で育った人たちがいる。
当然いろいろな考え方があるだろう。
そのいろいろな考えを
知りたい、理解したい、
という気持ちはとても強い。
自分の知っていることがすべてで
自分が絶対正しいはず、
とは少しも思っていない。




オレたちが世界と接するようになってたびたび驚くのは
自分こそが一番正しい、
自分の民族が一番だ、
という主張の激しさなのだった。
全然聞く耳もたず、これがグローバル標準なのかな。
厳しい世界で生き抜くための。


共存を知らず、自分の繁栄のみをめざす。
というのは癌細胞のふるまいに似ている・・。
これでは行き着く先、結局自滅だ。
人間、もうちょっと普通の細胞ぽくなれないだろうか(^^)。