あの人のように素敵に暮らしたい!と思ったものの。

Youtubeやブログには、素敵な暮らしを紹介する人で溢れている。

最近はお金を使わず、センスあふれる素敵な生活をしている人がたくさん、自分の日々の暮らしを紹介している。

お金があってこそできる生活だと、

「自分とは関わり合いのない、遠い世界の話」

として最初からひとごとと認識して、心静かに覗き見気分でみていられるが、これがひとたび、

「あまり稼いでいない」

「将来が安定していない」

「ひとりでやっている」

というキーワードでもあると、

「何っ⁉︎オレと同じような境遇のやつでもこんな生活ができるのか!(>▽<)」

と夢が広がり、急に自分ごとになって、貪るようにその人のYoutubeやブログを見てしまう。

なんなら、その人の出した本なんかもすぐ買ってしまう(思うつぼ)(>▽<)。

 

しかし、しばらくみていてわかってくることは、

「オレにはこんなリフォーム能力はない」

「こんなマメさもない」

「こんだけやってたら(自分のキャパを超えているので)疲れてしまう」

「この人、そうとう頭がいい」(頭良くないって言ってるけど)

「意外に金持ってる」(お金ありませんって言ってるけど)

という、現実(^▽^;)。

 

「この人‥実はオレとだいぶ違う〜!!」

 

そう、一見同じような境遇にみえて、やっぱり遥か彼方の

「いろいろ持ってるひと」

なのだった。

何回騙されても(いや、向こうにだますつもりはないけど)、同じようなわなにはまってしまうオレであった。

そんなのずーっとみてて妄想してる暇あったら、部屋のひと隅でもいいから整理しろ、オレ!

(>▽<)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしてもやらなければならなかったこと。

ひとは、周りから見たら

「急にどうしたんだ、お前?」

と、びっくりするような行動に走ることがある。

若い時ならともかく、中高年になってからそんなふうになるのだ。

 

ものすごく真面目だった人が急に女遊びに走る。

良妻賢母の典型みたいだった専業主婦の人が、還暦過ぎてから離婚を決意する。

順風満帆のエリートが急に怪しげな宗教にハマる。

安定した職業を捨てて、たいして才能があるとは思えない(失礼)絵描きになる、とか言う。

(オレがびっくりした事例( ̄◇ ̄;))

 

はたからみたら、本当に愚かに見える。

そのまま行けば、平和に穏やかに過ごせるのに。

馬鹿馬鹿、考え直せ!

しかし決心は固く、他人の言うことにいっさい聞く耳持たない。

 

客観的に見たら、絶対今までの生活を続けていた方がいいのだ。

もうわかりきったことなのだ。

それなのになぜ‥

 

しかし、自分も歳をとってきてわかってきたような気がする。

多分、はたからみて恵まれているように見えても、本人の中にはもやもやするものがずっとあったのだ。

何か違う、変えたい、変わりたい、と思ってもなんとなく今日まで来てしまったのだ。

 

それで、残り時間がみえてくる中高年になると、

「このままで終わっていいのか?」

と本人の中で危機感が強くなっていき、ついに、はたから見ると突飛な行動にでる。

どう考えても、そっちの道のほうが茨の道なのに。

 

もうここまで来ちゃったんだからそのまま行ったら?

と周りは思うが、そしてもしかしたら本人もうすうす予感しているのかもしれないが、

それでも、その人にとっては必然性があることなんだと思う。

どうしてもやらなければならなかったこと。

茨の道だとか、先行き不安とか関係ねえ!

はたからは理解不能だけど、ばかだなあと思うけど、やっぱりそうしなければいられない何かがあるんだろう。

もうそれはそれで、その人にとっての正しい道なんだと思う。

 

ただ一つだけ言えるのは、やりたいことは早いうちに思い切ってチャレンジした方がいいということだ。
どう転んでも、まだ時間はある。

やり直しがきくのは大きい。

へたに悟ったふりをして、若い時小器用に生きようとすると、歳取った時にきっと後悔する。

あるいは、急に周りが驚く突飛な行動に走るであろう(⌒▽⌒)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オレの方が大変だ競争。

「最近こんなことあってさー、いやー、参ったよ。」

という話をする時は、

「そんなことあったの!大変だったね〜。よくがんばったねー」

と言ってほしい時だ。とりあえず同情してほめてほしいのだ(⌒▽⌒)。

そのあいづちがどんなに力になるか。励ましてー。

 

ところがその期待に反して、

「ふーん、そんなこと、たいしたことないんじゃない?」

とつまらなそうにされたり、

「それよりもオレはもっと大変だったんだ。このあいださ〜」

とすぐ自分の話に持っていかれたりすると、弱っている力がさらに吸い取られる感じがする。

話すんじゃなかった。馬鹿馬鹿オレのバカ。と思う。

 

「普通人の話を聞くもんだろ!ほめられたかった〜。

オレの方が大変だっていうけど、いやいやオレの方が大変だろ!どう思う?

と常識人で安定感のある友人に話したら、

「子供か!」

とひとこと言われた。

は?ワタクシのことですか?相手ではなく?心外ですね( )`ε´( )

「ふたりともだよ。似たり寄ったり」

だと。心外!

 

しかし‥冷静に考えてみると、的確な指摘だ。

何かをやったからほめてほしいとか、励ましてほしいとか、オレのほうが上だ!とかムキになって争ったりするのは子供すぎる。いやお恥ずかしい(≧▽≦)

 

大人は黙っていろいろな大変なことを乗り越えていくのだ。

おおげさに言い立てず、何もないような穏やかな顔をして。

くーっ、かっこいいねえ。

永遠の理想。程遠いオレ。

死ぬまでにはちょっとはそんなふうになれるだろうか?

 

「性格もあるし、無理じゃない?」

と、常識人の友人はあっさり言うのだった。

くーっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸せになりたいわけ。

なぜか気が合う友達がいる。

その友達はオレとは違い、いわゆる勝ち組のほうに属する(>▽<)。

高収入、モテる、誰にでも好かれる明るい性格。

なんでオレと友達なのか不思議だ‥。

 

友達は年々忙しくなって、会う機会もとても減った。

一年に一回会えればいいほう。気がつくと何年も会ってなかったこともある。

それでも不思議と、久しぶりな気がしない。

環境も全然変わってしまっているのに、友達は昔と変わらない。

昨日まであっていたように、話が止まらない。

物事の感じ方が似ているのかもしれない。

よくわからないけど。

 

それでも、何か気まずいような雰囲気になった時がある。

そういう時はだいたい、オレの方が何かドロドロしたものを抱えている時だ(^▽^;)。

世を拗ね、人を恨み、自分が嫌になっている‥そんな時。

いや、口に出してそんな話をするわけじゃない。

けれど、何かどよーんとした空気がオレから発散されるのか、話がはずまない。

それどころか、友達はだいたいそういう時、本気で具合が悪くなってしまうのだ。

空気に敏感すぎ(⌒▽⌒)。

 

かといって、オレに不幸があったとき、不運にみまわれたときに避けるということはない。

かえって積極的に会おうとする。

なんというか、不幸そのものを嫌うわけではなくて、気持ちのねじくれた人が本能的にダメ、

という感じなんだろうなあと思う。

 

 

で、オレが「ほんと、幸せになりたいなあ〜」と思うのは、自分のことだけじゃなく、

友達を具合悪くさせないためにも、そうなりたいのだ(⌒▽⌒)。

オレが楽しい気分の時は、友達も本当に楽しそうだ。

友達が楽しそうだと、オレも楽しい。

なんか、そういう関係を続けたいなと心から思うのだ。

あまりどよどよしていたら、きっとそのうち離れていくと思う。

友達とずっとつきあうためにも、幸せになりたいのだった。

 

 

あ、そういえばコロナの愚痴で

「会えないと疎遠になるのは当たり前だ!ほんとうの友達って何よ?ヽ( )`ε´( )ノ」

って書いたけど、その友達ともう一人、会わなくてもあんまり変わらない関係の奴がいるな。

それが「ほんとうの友達」なのか?そうなのか?

いや、のんきなだけなのか?

よくわからん。

だいたいすぐ本当とか本物とか言う奴、しゃらくせー!(誰に向かって怒ってるんだ(⌒▽⌒))

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

役に立たない人は排除していく世界

最近世の中を報じるものをみるにつけ、

「役に立たない人は生きている資格がない」

「厄介者は死ね」

というメッセージを感じる(T_T)。

特に老人を厄介者、とはっきりいわなくてもそう匂わせているように感じてしまうのは、

自分が老人に近づいているからだろうか‥( ̄◇ ̄;)。

 

年金が払いきれない、介護負担が大変、若者に負担を強いている‥。

 

毎日のように論じられている。

ちょっとネットを見ても、若者の不満は溢れかえっている。

 

オレはまだ、必死に働いて税金を払っている方だが、そしてたぶん年金はもらえない側だが、こうした論調で、「世の中を憂いていますよ」という体の、絶対老後は困らないだろうと思われる識者の話を聞いていると、

「だから何?老人は死ねって言ってるの?」

と、老人側に立ってイライラしてしまう。

 

確かに論理的に考えると、老人が多すぎて年金が払えないなら老人が減ればよい。

介護に苦しむ人が多いなら、介護が必要になった人には死んでもらえばよい。

とてもすっきりしている。

なんで、将来性のある若者が、将来性のない人たちのために損をしなきゃならんのだ。

もし、AIに解決策を聞いたら、即この答えを出してくると思われる。

なんでこんな単純な話にニンゲンが悩むのか、AIには理解不能だろう。

 

最近、「論理的思考」がもてはやされているが、論理的思考というのはつまり、

「どうすれば一番利益を得られるか」

ということを純粋に考える技術ではないかな、と思う。

論理的思考をする人ばかりが増えた社会は容赦無く、怖い社会になる気がする。

正論ばかり言いたてられて追い詰められていく‥( ̄ロ ̄|||)

それは違う!‥と言いたくてもどう違うの?と聞かれると、言葉では説明できなくて、ハナで笑われそうな気がする‥。

 

そうして、老人や障害者が排除されると、次に目につくのは、若いけれど能力の劣るひとたちだ。危険な仕事や便利な使い走りのような仕事しかなくなってくる。

それもやがて機械がとって変わるようになると、不要な人たちになる。

 

そうして、それも排除されると、次は‥目に付く役に立たない人は‥。

 

能力がないんだから当たり前だ、と現在他人事と思っている富裕層たちも、彼らもやがて歳をとる。病気になるかもしれない。

その時やっと思い知るのかもしれない‥。

 

ああ、妄想が止まらない‥(^▽^;)。

 

「とんがり帽子のアトリエ」という、可愛い絵柄の漫画がある。

その中のちょっとしたエピソードで、魔法使いたちの理想郷の話がでてくる。最初はまさに素晴らしい、理想的な社会としか思えなかったが、やがて滅亡してしまう。

 

なんだかそれを思い出してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パソコンの中の冒険者。

↑おお、かっこいい題(⌒▽⌒)!

 

オレはパソコンは苦手だ。

そんなオレがふとした出来心でホームページを作ろうと思い立った。

それが過ちのもとだった。

どこの国の言葉?ってくらい何言ってるかわからん。

いっこいっこの単語がわからん。

 

でも、今はネットで探すとだいたい解決する。

‥ほーほー、単語はなんとなくわかった。

次は設定だ。

親切にもパソコンの中では、いろいろな人たちが手取り足取り教えてくれている。

 

ふんふん、ここまでくるとこの画面がでてくる‥ってでてこない!

ふんふん、ここのファイルをコピーする‥ってファイルの名前が微妙にちがう!

画面のここのところをドラッグして‥って動かん!

 

なんか、教えてくれる画面、惜しいんだけど、微妙に違うんだよなー。

 

それで結局、自分でやたらにあちこちいじって、もうわけわからなく‥(T_T)。

元に戻しても(つもりでも)2度と元にもどらなくなってたり‥。

ホームページ、それは決して間違いを許さない奴!

 

でも、教えてくれる人はネットの中にいるしさ、自分でも考えて

「はっ、もしかしたら‥あそこをあーしたらこうなるんじゃないか?」

とか思いついたりして、なかなかあきらめきれず、あーでもないこうでもないといじっている。

たぶん、わかってるひとは10秒くらいでわかることを、1週間くらいかけて発見したりしている(⌒▽⌒)。

すごい時間の無駄だ!と思うけどやめられない。

 

でもこれは、何か懐かしい感じ‥。いつかこんな状態になったことがあるぞ。

と思って、思いついた。

 

昔、ドラクエにハマった時!

次に行くところがわからなくなったり、行き詰まった時、もう打つ手がよくわからないのに、だらだら同じフィールドを行き来したり、なんとなく惰性でモンスターと戦ったり。

なんとなくヒントをくれる村人とかいるんだけど、ちょっといまいちわからない。

まあ、その辺にいけばまたなんとかなるでしょ、と見切り発車しては期待はずれ。もうちょっとでなんとかなりそうな気もしてゲームを離れられずだらだら。

はっと気がつくともう深夜。

また今日も時間を無駄にしてしまった‥。

 

うー似てるわー。そっくり!

やらなきゃいけないことはたくさんあるのに、気がつくとそればっかりやっていて時間が過ぎていく。

現実逃避、ってとこもあると思うけど、なんかこういう、画面動かす系にハマりやすいんだと思う。苦手なくせに( ̄◇ ̄;)。

 

そしてオレは今日もパソコンのフィールドの中、答えを探してあてもなく彷徨っている。

‥と書くとなんかかっこいい(⌒▽⌒)!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナでキツいと思うこと。

コロナで色々なことが変わってしまってもう一年半あまり。

意外にも、オレの中で一番キツいのは、人との関係がだんだん離れていってしまうこと。

LINEや電話、そんなものでは補うことができない。

何か、やっぱり圧倒的に薄くなってしまうというか、実感がない、かりそめ的な感じがする。

ないよりはマシかもしれないけど。

実際に会っている時の共感の大きさや楽しさ、安心感が全く違う。

 

いつも会っていた友人とあまり会わなくなると、ツーカーな関係が崩れていく、というのも寂しい。

「1年や2年会わないくらいで疎遠になる友だちは本当の友人ではない(から必要ない)」

と言う人がよくいるが、本当の友人ってなんだろう。

経験によって人は変わっていくんじゃないのかな、と思う。

会って、遊びに行ったり、思いつくまま色々な話をしたりする。

そのことで、一瞬一瞬の関係はできていく気がする。

一年以上会わずに違う経験を積んでいる相手とは、当然感じ方も違ってくると思う。

会わない期間が長いほど、ずれも大きくなっていく。

これが寂しい。

 

そんなのは本当の友人じゃないからいいんだ、とはとても思えない。

前のように気軽に会えるようになるといいなあと思う。

気の合う友人と一緒にいて、思ったことをしゃべりあって笑い飛ばすほど楽しいことが他にあるか!(ダメ人間)

 

それにしても、その場に一緒にいる、ってことがこんなに大きいことだとは思わなかった。

 

オレは出不精だし、どちらかといえば、いやかなり、一人でいるのが好きなほうだ。

コロナの時代になってから助かったこともあった。

 

そんなオレでもこれだけ人に会えないと、ああ、友達に会いたい!と思う。

社交的な人はどんなにストレスフルな世の中だろう。

 

こうなると引きこもりの一人勝ちだな!

生活変わらんもんな。ストレスなし。

(あとは生活費さえ稼げれば)

 

未来ははるかに予想を超えていく。

えー、なんと、こうきたか!って感じだ。

世界でもっとも賢い人と言われている人が未来予想で

「伝染病を人類は完全に制御した」

って書いた翌年にコロナが蔓延したもんな。

 

未来なんて気にせずに、今好きなことを続けていく、っていうのが本当に正解なのかもしれない。うまくいけばいつか風が吹いてくるかも。

そのまま終わることもあるかもしれないけど、好きなことだったからいいや、ってあきらめはつくかも。

将来性のためにがまんしてこの生活始めたのに、将来性もなかった!っていうのが一番悔しい!

 

‥とはいえ、食ってかなきゃいけねー問題もあるしな。

ベーシックインカム始まんねーかな(⌒▽⌒)!