個性が輝いてないとダメか?

YouTubeとか見てるとホント感心する。

芸達者の人、博識な人って、一般人の中にもこんなにいるんだ〜!という驚き。

 

親戚の子にピアノ上手だなー、と言うと

「こんなの上手なうちに入らない」と言う。

発表会の動画を見せてもらうと、なるほど、信じられないほど上手い子が何人もいる。ものすごい早弾き、正確なリズム。恐るべし今の子どもたち(^◇^;)。

 

別の子は絵が好きで、なかなかうまい。

携帯の小さい画面に指で素早く描いていく。すごいなー、と言うとやはり「友だちはもっとすごい」と言う。見せてもらうと「宮崎アニメ描いてる人ですか?」と思うくらい本格的な絵だった。

 

卓越した才能を身近にたくさん見られるようになった今の時代。鑑賞する側に回れば、こんなに楽しい事はないけれど、現役プレーヤーたちはどうなんだろうとふと思う。

つまり、何かに興味を持ってやり始めてみても、あまり才能のある人ばかり見せられていては、やる気なくならないかな、と思う。

早くから諦めて、もういいやオレ見る側で、とか思ってしまいそうだけど、そんなことないのかな?

今の子はちゃんとマイペースで楽しめるメンタルの強さがあるのかな?

そうだとしたら大したものだ、と思う。

 

本当はどんなことでも、どんな下手でも、見るよりやる方がずっと楽しいと思う。

ただ、「オレもなかなかうまいじゃん」とか

「イケてるんじゃね?」「うまくなってる!」

とか思うことがないと、楽しくなくなる。

楽しくないと、なかなか続けることができない。

それは人との比較ではなくて自分の中で感じればいいものだけど、やっぱり人にほめられるとうれしい。でも今はみんな目が肥えていて、ほめられる閾値が高いのだ。

 

昔は、才能のある人に接する機会がそんなになかったから、お山の大将で、それほどでなくてもけっこうみんなに褒められたような気がする。

ピアノちょっと弾ければ、ちょっと足が早ければ、暗算ちょっと早ければ、それで

「すげー!」

と感心したりされたりしていた。

思えば素朴ないい時代じゃったー(^○^)。

 

大人になれば大した才能じゃなかったことがわかるけど(^○^)、ほめられたことがうれしくて、一生懸命練習したことは、才能以上の何かを与えてくれた気がする。何かってなんだ?楽しく充実した日々か?わからないけど(^○^)。

 

好きというのは自分の心の中の話だから、周りなんて気にせずやり続ければいいんだけど、実際、相当好きでないと、誰からも認められないことを続けていくのは難しい。

ものすごく才能のある一部の人だけがものすごく認められてチヤホヤされ、その他は無視される。

それは実力本位の公平な世の中、かもしれないけど、なんかやだ(^○^)。

 

今の中高生ってどうなんだろう。

オレが今中高生だったら多分やる気なくしてYouTubeTwitterばっかり見てるな( ̄▽ ̄;)

みんなと同じにしなさい、って言われるのもプレッシャーだけど、なんらかの輝く個性を発揮しないと、と言われるのもかなりプレッシャー(^◇^;)

恵まれているようで、厳しい時代でもある、と思う。

負けるな中高生!キミたちには未来がある!

(急に応援したくなった(^○^))

まー、中高年のオレもまだなにかしらはあると信じているからな。才能なくても好きなことは続けよう。人目を気にしなくていいよう、密かにな(^○^)。