とりあえず、その夜だけは超えて行け!
三浦春馬が自殺、って聞いたとき、そんなファンじゃないオレもショックだった。
あんなに恵まれてみえた人でも、何か悩みを抱えていたのだろうか。
有名人の自殺にはいつもびっくりして、いろいろ考えさせられてしまう。
確かに繊細そうにはみえたけど、性格も良さそうで、その後のコメントを見ると親しい友達も多かったようだ。
もし、相談すれば、力になろうとする友人も多かったと思う。
でもきっと、どんなに家族や友だちに恵まれた人でも、人は本質的にひとりなのだ。
ひとりひとりの宇宙は違う。
その人に何かあれば、それはその人だけの問題なのだ。
こうなんだろうな、と推測することはできる。
励ますことや、そばにいることはできる。
気晴らしに一緒に楽しいことをしたり、美味しいものやきれいなものを贈ることもできる。
物理的なことだったら実際に手助けもできる。
お互いの気持ちを話すことだってできる。
だから、家族や友だちは、ひとりの孤独を癒すためにはとてもありがたく、それがなければどんなに人生が単調で辛くなってしまうのか、生きていけるのか、とさえ思う。
それでもやっぱり、自分の問題は自分の問題なのだ。
手助けがあっても、立ち直るかどうかは自分次第なのだ。
人に肩代わりしてもらうわけにはいかない。
ひとりひとりは皆違う。
逆に、友人の問題を自分が肩代わりすることはできない。
それがくっきりとするのは、病気のとき、死を意識するとき。
どんなに心を込めて看護しようと、手を握っていようと、
あちら側とこちら側、彼方な距離がある。
運命は全然別な方に別れている。
病人は病気と戦うことに必死だし、看護する側には日常が続いている。
病人には病人の孤独、看護人には看護人の孤独がある。
本当は健康なときだって別々だったのだ。
すぐそばにいると、そんなことも忘れてしまう。
いくら仲が良くても、人のことなんてわからない。
ただひとつ、救いになるのは互いを思いやる気持ちだと思う。
分かり合えない、でも思いやり合える(こんな言葉あったっけ(^◇^;))
的はずれかもしれない思いやり、ありがた迷惑の思いやりというのもある(^○^)
ただ、相手が分からないなりに思いやってくれているんだな、と感じると心が暖かくなる。
それが結局、自分の難題に立ち向かって行くエネルギーになったりするのだ。
ほんの些細な出来事。
ほんの少しのおしゃべり。
大したことのない日々の中に、いたるところに、立ち直るタネは隠れていると思う。
ただ、夜はヤバい!
眠れない夜。
悶々と考えてしまう。
気を散らしてくれるものは何もなく、夜の闇は果てしなく続く。
自分1人しかいない夜。
夜、今死にたい、と思っていたら頼む、明日の朝まで待ってくれ!
美味しい朝ごはん食べて、人としゃべって、それから考えろ、と思うのだ。
1日でいい、思いとどまりますように。
それで1日生き伸びたら、とりあえずまた1日なんとかひとつ(^○^)。
死んでいい人だったねと言われるより、しぶとく生きて嫌われる方がいいと思う!
死んだらおしめえよ。
三浦さんは一般人以上に人に与える影響が大きい。
親しい友だちも多かったようだから、皆苦しい思いをしているだろう。
自分の苦しみに負ける前に、自分が死んだ後の周りの苦しみを思って欲しかった。
自分の命だ、勝手だろ、といわれてしまえはそれまでだが、
本当に周りの人が好きだったら、どんなにくるしくても、たぶん自ら死ぬことはできないと思う。
そんなに価値のない、そんなに惜しまれもしない人たちもたくさん生きている。
普通に生きていてくれればいい。
生きていればそのうちいいこともあるさ、
と思って、くよくよせず、淡々と生きていきたい。
そうそう、とにかく夜だけは何としても乗り越えろ!
一生(もう死んでるけど)後悔するぞ!
次はミミズに生まれ変わるかもしれない!
人生をまっとうしろ、この卑怯者!(誰に言ってるんだ(^○^))
亀有を読んでたら、両さんがこんなこと言ってた。
「日本人は余裕がない。
何か悩むと、すぐ生きるべきか死ぬべきかだからな!
目の前がすぐ真っ暗になり二者択一だ!
悩んだらまず
『生きる』モードに切り替えてからスタートだ!
それからどう生きるかを探せばいい」
両さんにしてはいいこと言ってんな(^○^)
追記:その後、三浦春馬の自殺の件はすぐ何も報道されなくなった。(竹内結子のも。)
コロナで不安定な気持ちの人のことを考えてのことかもしれないが、今までのTVを考えると、やたら不自然な気がする。
身内から金せびられるのが嫌になったとか、事務所の暗殺説とか、かえっていろいろな原因が憶測されてる。