コミニケーションは宣伝である。

と言い切っていたのは誰だったかも何の本だったのかも覚えていないが、
なるほど!と感心してそこだけ印象に残っている( ̄▽ ̄)。




本を読みたくて、時間がなくて、
ひとりで閉じこもって誰にも邪魔されずに死ぬまでずーっと本を読んでいられたら
どんなに幸せだろう、と空想していたこともあったが、
よく考えてみると、ずーっとそれだとやっぱりつまらなくなってしまうと思う。



今はただ、自分が知りたい、という気持ちだけが強くて
知って、理解して、ほーっと思う、それだけで満足だと思うけれど、
もし、知ったことがとてもおもしろいことだったら、とても珍しいことだったら、
ものすごい発見だったら、それを誰かにいいたくてたまらなくなると思う。
コミニケーションをとりたくなる、それはすなわち、
自分の知ったことを宣伝したくなる。
なんだろう、自分の中の何かを宣伝したくなるのは、本能なのかな?


でもきっと、それは自分が夢中になるほど、相手には伝わらない。
それで、言えばいうほど押し付けがましく思われたりして(^▽^;)。
その熱意の差が「宣伝」と言う表現になるのかな、うまいコト言うな、と思った。
(いやもう少し違う意味だったな。それはまた今度)


そういえばインスタで自分の素敵な体験を言い合うのも、
間違いなくコミュニケーションという名の宣伝だと思う。
(思い出を記録にとっておきたいから、というのもあるかもしれないけど)



コミュニケーションが大事だ、となにかと言っている現代は
つまり宣伝の時代なんだろう。
そういや、ネット見てもますます宣伝だらけになっていて疲れるよ〜。