型にはまったコメントに違和感。

最近小保方さんの捏造の話を、
「彼女ひとりを切り捨てて」とか
「実はトップの権力闘争で彼女はそれに巻き込まれた」とか
組織ぐるみの犯罪を一人の責任になすり付けている、というような
論調で語っているコメンテーターが多くて、とても違和感を感じている。


巨大組織→腐敗→汚職がばれる→下っ端に責任を押し付けてトカゲの尻尾切り


のような構図に当てはめたくてしようがない感じがする(^^;)。


どんなに巧妙な嘘をついても、研究職の場合、すぐ嘘がばれる。
それが素晴らしい成果なら素晴らしいほど、その研究を発展させようとして
同じ実験をたくさんの研究者が繰り返すからだ。
そこでまるで再現性がないものはたちまち真偽を疑われる。
そこが、すぐに理論の間違いがわからない経済学
(やってみて何年も立たないと結果がわからない)や、
ともすれば説得力さえあれば人を納得させてしまう
政治家のような仕事と違うところだと思う。


そしてそんなことは組織のトップなら(トップでなくても)知り尽くしているはずだ。
捏造を知っていて発表させたということは絶対ないと思う。
大発見に浮かれていたとは思うが、その気持ちはわかる(^^)。


オレがそれよりも気がかりなのは、捏造がこの論文だけだったろうかということだ。
研究は明らかになった事実の積み重ねによって発展する。
この論文を書くことになったそもそもの研究、その前の研究・・
いつからデータをいじっていたのだろう?

と思うとすこしぞっとする。


それから、このレアケースを基準にして、
「捏造を防ぐために」と称して、煩雑な手続きを踏みながら
研究しなければならないようになったら、大変な時間と集中力のロスになってしまうと思う。