少しでも研究に携わったことのある人が、
小保方さんの論文捏造(と言ってしまってもいいと思う)を知ってびっくりしたのは


「まさか、理研の研究員がそんなことするわけない!」


という驚きだったと思う。



研究は真実に対して厳しい。
他の職業だったら口のうまさと雰囲気でごまかせそうなことでも(^^)
研究室の仲間は決して見逃してくれない。
「あ、今のところ(ごまかしたところ)もう少し詳しく説明して」
「この間から少しも進んでいないようだけど」
あげくのはてに
「・・その研究は意味あるのかな〜?」
(↑その人が10年以上もやってきた研究に対して室長が質問)
もう、厳しい厳しい。 w( ̄Д ̄ w
でも実際結果でてなければ何言われても仕方ない。
皆だいたいその洗礼は受けながら、悩みながら、地道に研究を積み重ねている。


一方で「捏造にたいしてのチェックが甘かった」
という指摘があったけど、そんなチェックは誰もしない。
やるわけないのが大前提だからだ。
捏造した研究は何の意味もないのでやる意味が分からない、
真実の追究の為に実験をやっているのだから。
というのは言葉にするまでもないことで、そこがひっくりかえったから
びっくりしたのだ。



いったいなんのために???


厳しい批評をした人たちを見返したかったから?
脚光を浴びたかったから?
こうなったらいいなあ、という妄想が真実を追い越してしまったのか?



彼女を信じていた研究者たちは皆深く傷つき、混乱していると思う。



この事件で思い出したのが、何年か前の福岡伸一さんの本。
この人は科学者でありながら、詩的で魅力的な文章を書く希有な人だ。
この中の一章、「スペクターの神業」を読んだ時は
1つのサスペンス映画を見終わったような気分だったが(もやもや感は残る)、
非常に小保方さんの事件を連想させる。

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)

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