成長するために失敗は不可欠だ(凡人は)。と思ったわけ。

たまたまオレによく似たタイプの人のブログを読んだ。



働くたびにいろいろ嫌なことがでてきて、なんだかんだと言って辞める。
自活して生きていかなければ、と焦るが、なかなか希望どおりの就職先はない。
なんとか就職しないでも食べていける方法はないか、
もっとオレに向いたおもしろい仕事はないかと方法を探るべく、
次から次へと本を読んでいる。
主に実用書や啓発本。



この人の書評は分析力もあって、要約の仕方も的確で、なかなか読み応えがある。
オレと考え方が似ているので、ブログを読んでいると
「あコレ読みたいな」
と思う本がいくつかあった。
このブログ、イイね!などと思っていたのだが、


しばらくブログを拾い読みしていくうちに、
めんどくさくなってきた(^^)。


悩んでいることや不平不満の内容がいつも同じで代わり映えしない。
話が堂々巡りで、理屈をこね回しているだけの気がしてきたので飽きたのだと思う。


こんなにたくさんの有用そうな本を読んでいるのに、いつまでも変わらないのは
きっとこの人が現実の世界で行動を起こしていないからだ。


頭の中であの考え方はどうだの、あの仕事のやり方はどうだの考えているだけでは
ほとんど身につかない。
身につかないもんだから、また新しい啓蒙書や実用書に手を出す。



あー、この人はオレだ。
身の回りにはオレのような人はいないが、日本中探せばいるんだなー、こういうタイプ。
自分を客観的に見た気がした。



なぜとっとと仕事をはじめて実際試してみないかと言うと、そこで失敗するのが怖いからだ。
何度か失敗しているだけによけいに怖い。
どうせオレなんかと言う気持ちと、でもつまらない仕事はいやだという気持ちが
入り交じって、なんというか、現実の自分に折り合いがつかないでいる。



しかしオレはブログを読んで感じたのだが、




やっぱり啓蒙書や実用書を次々に読むのは時間のむだだ(^^)。




この種の本は、やはり行動しながら読むものなのだ。
何冊も読む必要はない。
その時間があったら、実人生を生きなければまったく意味がないのだ。
書いてあることに感心したら、実際自分の人生でその方法を取り入れてみる。
失敗したら原因を考え、自分にあうようにまた工夫しながら使う。
あるいは別の方法を取り入れてみる。
というふうに実生活とリンクしながら、フィードバックしながら使わなければ、
いくら人生の神髄が書いてある本に出会ったとしても、あまり意味はないだろう。



本当に人生を変えたかったら、自己嫌悪は忘れ、周りを批判する気持ちも、
失敗する怖さも、嗤われる怖さも一旦置いて、やっぱりやってみるしかないのだ。
未来に絶対の保証はないから、失敗を恐れていては何も始められない。
時が流れても同じところで立ちすくんでいるだけだ。
そこには少しの進歩もない。




ポイントになるのは、失敗しても失敗する前の自分より進歩しているということだ。
それをただの自己嫌悪、不幸感の材料にしなければ。
その素材から何を拾うか。
ひどく失敗したときでさえ、もうその道は選ばないという決心は手に入る。
失敗をしないためには具体的に何が必要かはっきりわかる。
何が失敗の原因かを探れば、何が苦手か判る。
運が悪かった、周りが悪いと言うのは簡単だけど、自分のせいでそうなったということも多い。



例えば意地悪な先輩が何も教えてくれない、露骨に自分をバカにしてくる、
同僚も冷たく、人間関係がつらい、と言う場合。


周りの人間はあまり上等な人間ではないが、かといって自分にも落ち度はなかっただろうか。
教えてくれなくても、精一杯自分で勉強して、情報を集めて、賢くなろうと努力しただろうか。
自分でできることは全部やり尽くしたと言えるだろうか。
それが言えて初めて、運が悪かった、と大手を振って(^^)言えるのだと思う。


人間関係に悩んでる暇があったら、誰よりも仕事の知識を深めることを目標にすればいい。
仕事ができるようになれば、周りは一目置くだろうし。
どんなときでも、その場で自分のできることだけに集中して、淡々とやれる人なら、
どこにいっても大丈夫だろう。
そういう人間になりたい。




...ああ、そうは言ってもへこみやすいし、また失敗するのが怖い。
でももしかしたらうまくいくかもしれないしでもでも(ループ)。



とにかくしようがない、いつだって始めてみるしかないのだ。