哀れみの視線が人を不幸に陥れると思う。

そうなのよ。
それまでは淡々とやってきたのに、あからさまに「かわいそうに」という目線や、むりやりみたいな励ましの言葉、そんなものにさらされると、一気に不幸感が増して、どっと疲れてしまうのよ。


むこうにしてみれば、親切で言ってるんだろうし、優しい人なんだろう。
そんな優しい気持ちに疲れてしまうオレはひねくれてるんだろうか?


たとえばオレは、すごく落ち込んでいる時期に、会いたくない友達がいる。
そいつは、明るくて前向きで、でもとても感受性が鋭いのだ。
オレが落ち込んでいるのをすぐ察してしまう。
そしてすぐ励ましてくれようとするのだが、それが、わざとらしいのだ(すまん)。


つらそうな表情、途切れがちな会話。慣れないことをして、落ち着かない様子。
そんな状態の友達を見ていると、
「なんかオレ、そうとう不幸なんだなあ」と
気づいてしまう(~o~)。


それと、落ち着かない奴の様子をみると、オレがやつをそんな状態に追いやっているんだなあ、悪いなあ、という気持ちになる。


だからつらいときには、やつには会いたくないのだ。
普段は、なんでも話したいNO.1か2くらいなのに(~o~)。


では、オレがつらいとき、誰と話していると心が休まったか。


答え:空気を読めない奴。(~o~)


ほんと、空気を読めない奴って大事だよ。救いの神になることある。
空気読めない奴、ありがとう!


オレのどんよりした空気も読めずに、自分の不幸自慢ストーリーを語るやつとか、自分の興味あることしか語らないやつ。


自分が相手にまったく影響を与えていないと感じるのは、時と場合によっては、ずいぶん楽だな。(~o~)


あとは、あまり親しくない人もいい。


あまりプライベートなことがいえないし、あたりさわりのない話題しかしゃべれない相手といたほうが、親しい友達といるよりずっと気が楽なのは不思議だった。
ふだんはそういうつきあい苦手なんだけど。


そういう意味では、マスコミはヤバいと思う。
「こんな不幸な人たちが」
「みんな格差社会が悪い」
とか、どんよりしたナレーションで言われ続けると、がんばる気持ちが萎えるのよ。
私たちはあなたたちの味方です、と言いたいんだろうけど完全に逆効果。
「不幸な物語」を押し付けるのはやめてくれよ。