とにかく死ぬまで生きるのだ!

とても共感する一文に出会った。
ともするとうつになり、将来に絶望的になってしまうオレに、その文章はストレートに胸に響いた。
どんなときでもこの文章を思い浮かべられれば、我に返ると思う(~o~)。



「まず、いま生きているから生きる。食べて糞して寝て起きて、死ぬまで生きるのだ。
こう言われれば気が楽になります。
何か、大きなものに、ゆるされたような、胸のうちがほんわりとあたたかくなるような、優しい気持ちがします。
現代人はナカナカこういったことを言ってはくれません。
たいそうらしい『理由』が答えられなければ、存在さえも否定されかねない性急さで、ご飯のまずくなる問いをたたみかけます」




これは江戸評論家の杉浦日向子の文章。
この人の本は何冊か読んだけど、江戸の庶民の姿は笑える。
かなりいいかげんでお気楽。そんなんでいいのか!?と思うくらい。
生まれつき身分が決まってる分、先が見えてしまっていて、がんばってもしようがないと割り切っているのか?
寿命が短かった(40歳くらいか)から、老後の心配をしないせいか?
とにかく将来のことを心配してる様子がぜんぜんない(~o~)。
いきあたりばったり。楽で楽しければいい。
それが徹底していていっそさわやかなのだ。


「夢をもってがんばれば、きっと思ったとおりの人になれる!」
自分の状況を考えるとそんなセリフは薄っぺらく、ウソっぽく聞こえる。
どうがんばっても無理だー。つか、そんなパワーないわ。


と、世間に蔓延するプラス思考についていけないと思ったとき、こういう生き方、考え方を選ぶのもいいかな、と思ってしまうのだ。
生きる、という本質をついているように思う。


なぜ生きるのか。
そんな問いは、生き延びられるのが当たり前と思っている傲慢さから生まれるんだろう。
そんなこと考えてるヒマがある、恵まれた環境とゆーか。
戦争中や戦後の食うや食わずの時代は、うつ病患者が激減した、という話も聞いたことがある(~o~)。


なぜ生きるのか。
そんな問いは、たぶんあまり重要な問いではないのだ。
自分で堂々巡りに考えてるならヒマつぶし。
人を問いつめるなら、いやがらせ。
が目的だろう、本音のとこ(~o~)。